人の服装にこだわる人間は本質を見ようとしない、愚かな人間だという人がいる。
人の服装を褒めることは、他人を見た目で判断するという恥ずべき行動の集大成なのだという。
洋服を褒めることは、それを買ったその人の財力を羨むことで、服装=お金の量なのだという。
確かに、洋服を買うにはお金が必要。
おしゃれな人はたくさん洋服を所有している場合が多いことも事実。
おしゃれな人を見て褒めることはその人の財力を褒めていて、その人の心や本質を見ようとしていないんだって責められてるのだ。
洋服=お金っていう発想がなかったので、聞いて驚いたけれど、確かにそうともとれる。
日本の学校で制服があるのは、服装で貧富の差を感じて子供がつらい目に合わないように、というのも理由の一つだ。服装=お金との考えに基づき配慮されて制服が生まれた。
確かに服装とお金は切り離せない。
でも服装って、お金、ただそれだけなのかな?
服装を褒める、人の服装を見る人は心を見ないなんてそんなことはない。
服装を褒めるとき、その服装の奥にその人の主張したいことや、自己表現を見る。自分らしく輝く姿に、きれいなものに自然と称賛を表している。
似合う色を着ている人を見て素直に美しいと思う。コンプレックスを克服して着こなす姿に、その人の心意気を見る。
TPOをわきまえて着こなす人に、周囲への心配りや柔らかさを見る。
そんな風に、その人の本音や思考を知りたいからこそ、その人の表現方法の一つである服装を見ているにすぎない。
もちろん、単に、お金だけかければいいとばかりに着飾る人を見ると、共感できないし、褒めようとも思わない。
でも、工夫して自分に似合うものを着こなす人を見ると、その人の繊細な感性にふれたように思う。
校則に縛られながらも、何とか工夫しおしゃれする学生は素敵だと思わない?
そんなことに時間とお金を割くより、勉強しろって頭ごなしに押さえつける人間には辟易する。
何でも暖かければいいい、裸を包めばいいという乱暴な無頓着な人を見れば、この人は他に没頭することがあって、外見をつくろうことが好きじゃないんだと思う。ただそれだけのこと。本質を見ようとしないわけじゃない。
服装を褒めること、服装にとらわれることは、相手の本質を見ようとしない愚かな行動だという人がいる。
おしゃれすることを無駄な浪費だというだろう。
服装に構わない人こそ、本質を見ることのできる達観した人間なのだというだろう。
人の服装を話題にするようなあなたは、何もわかっちゃいないんだって。
でもそうだろうか?本当にそうだろうか?
服装を褒める=お金や外見にとらわれると直結して考える思考、一元的なその思考もまた、相手の本質を見ようとしない愚かな行動なんだ。
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