日本人の美徳のひとつに遠慮がある。
言語を例にとると、英語やフランス語など多くの言語は、初めの2,3語さえ聞けば肯定か否定か明白である。
対して、日本語は最後まで聞かないとよく分からないし、その上、「言葉を濁す」という言葉にあるように、文章の最後は消え入るようにはぐらかしたりするものだから、聞いている方は最後まで気が抜けないのだ。合理性のかけらもない。
そんな言語の非合理性にもかかわらずなお、きっぱり言うほんとは親切な話し手は、自己主張が強いと言われ、出る杭は打たれるとばかりに陰口をたたかれるのだ。自己を主張せずいったい何を主張するよ??と言いたいが、そんなものかと主張を引っ込め、遠慮という美徳の名の下に世間並に言葉を濁す。
本音であり真実である自分の主張ですら、はっきりと言えないのだから、実行されるかどうかが相手の心にかかっているようなこと、「頼み事」、何かしてほしいことなど言えるはずもない。
人にお願いなんて図々しいことできない、と一度は諦めるがやはり諦めきれない。そうだ、頼まなくても思い通りにしてくれないだろうか、と考える。
「なんか寒くないですか?」は、訳すると(寒いから閉めてくれ。)となる。
大した人間関係を構築しない、うわべだけの会社や適当な間柄ならこれでスムーズに物事が運ぶ。
日本語はうわべだけの間柄に有効な言語なのだ。建前社会の原因の一端を垣間見たような気がする。
遠慮という美徳に裏打ちされた言語の特性は、家族や友人、恋愛関係においてはやっかいだ。
遠慮して思ったことを言わないで相手の思っていることや心を見極めようとする。
親密な関係において、本音を言うに違いないとお互い思っているのに、美徳に邪魔されて本音を言わない。だからややこしくなり、事態は悪化する。
相手の愛情を毎日確認したいのに、遠慮して聞かない。聞かないから相手も言わない。言われないからこっちも言わない。→お互いに相手の気持ちが心配になりけんかや別れの原因を創り出してしまう。
愛情を確認できないから、浮気や心変わりが心配になり、心配が心を支配するから、余裕がなくなり相手の本質が見えなくなる。→そんな態度のせいで浮気を創り出す。
美徳を重んじるあまり、何より大事な真実である、本音の自分の主張を抑えこんでいませんか?
今存在する、浮気相手はそんな美徳にとらわれて取り憑かれたあなたの妄想が具現化した姿なのです。
美徳に阻まれて何も伝えないでいて、自分の思い通りに行動しない相手に勝手にイライラして、あなた自身がコントロールできなくなり悪鬼になり果てるやもしれません。
それでも、まだ、自分の本音の主張をすることを、自分の価値観を躊躇しますか?
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