「いじめは無くならないよ、昔からあったよ。」
「どんな小さな人数でも複数集まれば、ウマの合う人もいれば合わない人もいるさ。」
なんてのんきなことを言う人がいる。
「いじめくらいに負けるな。」
なんて、理不尽な精神論を振りかざす人もいる。
ウマの合う人合わない人がいるのは周知の事実。もちろん知っている。
互いに関わりを持たなくていい環境においては、何でもないことだ。
考えてみて。逃げられないからいじめなんだよ。
いじめに負けない強い心を持つことの重要性も知っている、自分が弱さを責めたりもした。
でも、そんな精神論じゃ解決できないほどに深刻だからいじめなんだよ。タダの仲違いとは違うから。
いじめの構造。いじめは人間、いや動物の本来持っている残酷さに由来する。
いじめの構造を分析すると、自分が優位に立ち、弱いものを排除し屈服させて快感を覚えるという動物そのものの残虐性、残酷さが潜んでいると気づく。
平和の象徴・・・鳩。結婚式で飛ばしたり幸せの象徴としての意味もある。
子どもの頃、鳩を飼っていた。鳩は弱った仲間を見つけると、羽をむしるほど攻撃し衰弱させて弄ぶ。
かわいい鳥だと思っていたのに・・・、かなりの衝撃だった。
動物園に行ってみると同じような光景を目にした。鳩だけに当てはまることじゃなく動物の本能由来の共通の行為だったのだ。
もちろん動物のこの本能を、残虐による快感をそのまま人間に当てはめるのは飛躍だということは知っている。
古代ローマの円形闘技場の1つコロッセオでは、剣闘士が血なまぐさい格闘を繰り広げ、猛獣が放たれるなどしていた。
皇帝自らが人民の不満やストレス解消のための、娯楽として残酷なショーを主催し、多くの人民が娯楽として楽しんでいた。人民の中に潜む残酷性。
また現代においても、ドラマの血を流すシーンや殺人のシーンが視聴率を集めることや衝撃映像なるものが人々の関心を集めたり 、凄惨な事故現場に野次馬が殺到したりしている。格闘技は人気の娯楽であり流血がショー盛り上げる要素となっている。
私たち人間は、二足歩行をし火を使いこなし文明を作りだした時から、他の動物とは一線を画し、人間だけの進化を遂げてきた。
そして、その進化、発展は、今日の繁栄だけでなく、我々に、人間が動物の中の1種であることすら思い出せないほどの陶酔と思い上がりをも、もたらした。
進化を遂げてなお、誰もが皆動物そのものの残虐性を秘めている。さらに、残虐性を表に出している人がいる。いじめを行う人がいる。
私たちは、動物本来の残虐性弱っているものにさらなる打撃を加え、命さえ奪うそんな残酷さが潜在していることを自ら感じている。
けれども、自分の中の残虐性を否定するために、そんな自分の残酷さを間接的に正当化するために 、いじめやむなしという論理を展開するのだ。
人間は、なお残虐性を秘めている。誰もが皆持っている。しかし、だからしかたないでいいのだろうか?
そこから学ぶべきは、我々に内包する悲痛な残酷性の限りない深刻さをかみしめ、受け止めることだ。
これほどの潜在的本能の残虐性ゆえに、導き出すことは、いじめを容認することのではない。いじめ解決、撲滅のためには途方もない努力と忍耐が必要だと認識することだ。そして、いじめ撲滅には大きな苦痛を伴うだろうことを覚悟し挑むことだ。
1つでもいじめを無くしていくこと。
誰かが吐き捨てた。「いじめは無くならない。」
確かにそうとも言える。
今あなたがいじめを止めたところでいじめの根絶など、達成できはしない。
けれども確実なことが1つある。
存在し蹂躙していた、いじめが1つ無くなったこと、まぎれもない事実。
その小さいけれど大きな「事実を受け止める勇気持ってみませんか?
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