恋には色んなかたちがある。
この人すてきだなって思う、これが恋。
そしてこの人ってフリーなのかしらって思う。
運良くフリーならそのまま何の障害もなく、自分気持ちのままに進めばいい。
自分を磨いたり相手の情報を収集したり、それとなく近づく工夫をする。
もしフリーじゃないならどうする?
恋人がいたらどうする?
恋人がいたら、恋人がいたってそんなことは出会った順番の違いだけ。全然気になんてしない。
その人の本当の恋人は自分かもしれない。だから、何の躊躇もなく恋人がいることを忘れてマイペースにすすんでいく。
じゃあ、でも配偶者がいたらどうしよう?
日本では、まだまだ事実婚は少なくて、愛情があるかないかは別にして「夫」「妻」というものがデーンと存在するのです。
愛があってもなくても、世の中の思惑どおりに、家族という単位を作ってせっせと家族しているのです。
この「家庭」という巣穴においては、子どもを産むことや色んなことがスムーズに行えるのです。
愛し合う2人のあいだに自然に子どもができること、これが本来の生命の神秘ですから巣穴なんて要らないのですが、 「家庭」っていうものは、巣穴が先か愛が先かと疑うくらい幅をきかせる「巣穴」なのです。
この巣穴では愛をなくした2人でさえもせっせと子どもを産むのです。
生きるための決まり事とばかりに何の疑問も感じずに、せっせせっせと子どもを作るのです。
そんな巣穴で生きる人を、愛を失い生きている人、を横から愛することはいけないことなのかな?
愛を忘れた愛を知らない人に愛を与えられるのは誰なんでしょう?
愛を得ること。ただ、今のまま、愛なしに生活していくこと。
どちらを選ぶかは個人の自由。
巣穴を飛び出し愛を得るのも恋。
そこに踏みとどまり愛を知るのも恋。
それとも、そこで愛を作り出し、愛のある巣穴に変えるのも恋。
巣穴の住人に恋をしたら、アプローチは罪。住人に選ぶ自由を与えよう。
どの恋を選ぶかを、ただその人に委ねてじっくり待ってみる。
どんな選択をするか、それはわからないけれど、どの選択であれ、異議を差し挟む余地は残されていないってことだけは心に留めながら、ひたすら待ってみる、これも恋のかたち。
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