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終わりない比較。いつも晒されている、きっとあなたも私も。

比較は嫌い。他人と、世間と、過去の自分との終わりない比較。


こどもの頃。兄弟と比べられる。同級生のあの子と比べられる。 勉強でも運動でも。
「他の人は気にせず元気でしょ。そんな弱いんじゃどうするの!」って感受性や性格まで比べられる。
誰でもできるのに・・・って漠然とした「誰か」と比べられる。


いつも誰かと比べられる。いつも比較でしか認められない。今の自分だけをありのままに見つめられたいって願うのに・・・。


「大きくなったね。」大人の他愛のない挨拶にさえ「自分は大きくなったなんてわからない。毎日過ごしているだけなのに。自然に大きくなるんだから、自分の知ったこっちゃないし。」 なんて不快感を覚え、聞こえない振りをしたりする。


何も話すことがないから、昔の自分と比較して大きくなったと言われているだけだったって、大人になればわかる。
けれども、無意味な会話などない、社交辞令なんて存在しない純粋無垢な子供の社会。
そこで生きる子供には、「大人の事情」は理解できない。
大人の会話が、ほとんど無意味で何の価値もないなんて、全く知らないし信じられないから。
だから、自分の成長、それがどうしたのかって、不思議に感じる。
大人のつまらない何の価値もない会話のネタにされることに戸惑いを隠せないのも当然なのだ。


比較されることで、自尊心を傷つけられた小さな心は、悲鳴を上げそうになっているのだ。


そして、とうとう大人になっていく。それでも状況は同じまま。容赦なく他人と比べられ、さらに昔の自分とさえ比べられる。比較の嵐の中を生きていく。


学校を出て希望を抱いて飛び出した社会は、学校という閉塞から解放されて意気揚揚飛び込んだ社会には、本音の会話なんて存在しない。
建前と社交辞令だけが価値を見出される、さらにいびつな閉塞がそこにはあった。


大人の社会は、意味のない会話の連続で構成されている。人々は本音を隠し、無意味な単語をつなぎ合わせてどれだけ意味があるように見せられるかに興じている。


そして、物事を単体で見ずに、本質を見ずに、何かと比べることで見極めようとする。
自分を見る時も、「誰かよりはまし。」「あの人よりは自分のほうがよかった。」って相手を密かに馬鹿にする。


他人からは、自分もまた比較に晒される。もうみんな働いているのに、もうみんな結婚したのにって「みんな」と比べられる。みんな出世してるよ、みんな子供産んでるよ、都合のいい誰かを持ち出して、その人を「みんな」と称して比較しようとする。


「最近老けたね。」なんて昔の自分とさえ比べられる。
若くなるはずないことは自明。それじゃあ他の人の老化スピードより早いってこと、速度を指摘されているのかな?
それとも最近の老化スピードが放物線の増加の軌跡を描いていると言いたいのか?
というよりそんな比較の発言に何の意味があるのか?


多くの人は誰かを見るときに、その隣に何か幻影を置いて見ているのだ。
その幻影は時にあなたの知る誰かだったり、歴史上の偉人だったり、過去のあなただったりする。
自分が他人と比較されると不愉快なのに、それなのに自分も含めだれかを判断するときに何かと比較に頼らざるを得ないという現実がある。


すなわち、誰もみな、今目の前にある横たわる真実を、ただまっすぐに捉える事、そのままに見ることを、無意識のうちに拒んでいる。
現実に存在する事象を正面から見ることをしないのだ。
現実をじっくりと見極めるなんて悠長なことをしないのだ。
その人の心をじっくり見つめようなんて気はさらさらないのだ。
簡単な結論だけを探しているのだ。
他人を見るときには、なにかアラはないかおもしろいことはないかって興味の対象として、暇つぶしに見ているにすぎない。


暇つぶしに時間や労力をかけるはずもない。
手っ取り早く同年代の誰かと比べて判断したり、その人の少し前の姿と比べて判断したりする。
そうすれば本質を見極める必要もなく、何も考えずにあっけなく他者との比較で答えにたどりつけるから。


私は暇つぶしで人を傷つけたりしない。
人をいつも誰かとの比較で見たりしない。
時には同じ人どうし、過去、現在、未来と比べたりしない。


比較は人の尊厳を踏みにじる。
アイデンティティーを軽視する。
終わりのない比較は、本質を見えなくする。
比較による認識は、本質を見えなくするから、そのように導いた結論は、誤った偏見や差別に等しいものでさえありうる。


人を人と比較しない。
そして自分自身についても比較しない。


自分の過去の栄光を披露して、自分だけでなく他人の時間を浪費する。そんな愚かな人もいる。
今の自分を過去との比較によってのみ存在させうる人がいる。


または、今できることをせず、また今度できると先延ばしにする。
明日の自分は今日の自分と違いやる気に満ちていて、今日できないことも軽々やってのけると自分をだましている。
今の自分と明日の自分の比較の上に立っている。そんな愚かな人もいる。愚かさに気づかずに生きている人がいる。


日々今日はこれをやろうと決めたら今日やろう。
現在の自分こそすべてなのだから。
比較が嫌いなら自分から実践し、今日やるべきことをやろう。
未来の自分はきっと今より優れてるなんて漠然とした希望を持つことはやめよう。


自分はもっとできるんだ。
やればできるんだ。
今は訳あってこんなことをしているんだ。


そんな風に、自分を騙して慰める人は今できることを何もしようとしない。
一歩も動こうとしない。 ただ、何の根拠もない希望的観測を叫んでいるにすぎない。


そうそれは、深い井戸の底で果てしなく高い出口を眺めながら嘯いているに過ぎないのだ。
明日も1か月後も3年後も、確実に同じ景色を眺めて、そして同じことを嘯くのみなのだ。


自分はもっとできるんだ。
やればできるんだ、って。
かすんで見えない天を仰いで叫ぶのみなのだ。


歯を食いしばり小さな小石を積み上げて現在の自分をみつめる人だけが、確実に違う景色を見ることができる。
「雨だれ石を穿つ」途方もない構想に気を失いそうになっても、目的に向かって歩みを止めない。


あなたは深い井戸の底で昔を懐かしみ、自分の不運を呪いながら奇跡を待ちますか?
なにもせずに毎日「やればできるんだ、こんなことしてるのは本当じゃないんだ。」って言い訳しますか?


それとも今日の自分を見つめ、少しでも前に進む、新しい景色を見られる人ですか?
あなたは、比較からの決別を誓い本質を見極めることの価値を本当は知っている。






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