人のお世話になるのは煩わしい。できることなら、自分で何でも済ませたいと思う。そして、お金さえあればそれもかなうのではないかと錯覚してしまう。
自分で何でもやりたい、人のお世話になりたくないと思うのは、独立心、他者への依存を嫌う自立心からだと言う。けれども本当にそれだけだろうか?
旺盛な自立心、先を見据えた洞察力の陰に実は、何かが潜んでいる。
だれかの助けを借りれば、「ありがとう。」と感謝することが暗黙の義務だし、感謝しないとしても借りができたりする。さらに、間違いを指摘され、修正されれば、プライドがさらに邪魔をする。
家族に何かしてもらったり、気の置けない友達に何かしてもらう。「ありがとう。」って心から感謝する。時と場合によるけれど、多くの場合はただ感謝する、それだけですべてうまくいく。もともと信頼関係がある間柄における役務の提供だから、感謝だけでいいのだ。
わたしたち人間は、言葉を話し、ムラなどのコミュニティを作り、移動手段を持つことで、家族や親族などだけの小さな単位から脱却した。他人という見ず知らずの人たちと、信頼に基づかずお互いの利便性のためにいろいろな交流を持つようにもなった。
それは、限られた関係においてオールマイティだった「感謝」の、万能の終焉を意味する。
愛情や信頼など何もない人たちには、何かしてもらうと、感謝だけでは補いきれないのである。
そこで感謝の共通のツールとしての貨幣、「お金」が登場する。
感謝が具現化したもの、それが「お金」なのだ。
単なる無味乾燥なツールとしか思われない、けれども人々が最も執着し、ときには殺し合い、大きく見れば戦争までも引き起こす「お金」には、感謝が詰まっているのだ。
お金を扱うとき、払う時、もらうとき精算するとき、どんなに少額でもお金を扱う場面では、その由来、「感謝」を忘れてはいけないのではないだろうか?
「ちょっとだからもういい。」「どっちが出してもどうでもいいよ、お金の話なんてやめにしよう。」
お金の話を避けようとしたり、大切なのにどうでもいい振りするのはなぜなんだろう?
感謝の気持ち「お金」を、邪魔者扱いしたり、ないがしろにしないでよ。
心理!心裏真理〜悩みフリー革命〜>お金を知るコラム2 お金と「感謝」
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