50才くらい?ある程度の年齢以上の人たちの恋愛には、真実の愛や純愛は成立しえないと世間では考えられているらしい。
芸能人が若い男性と結婚したと聞けば、お金があるからだとやっかみ、社会的地位のある人が美女と野獣的な結婚をすれば、これまたお金と名誉にほだされたと中傷する。
温かい家庭と愛情のあるパートナー、そんな生活を夢見て結婚。
家庭は妥協の試練場で、愛情あるべきパートナーは無関心さをやさしさと見せかける。
それなら自分も負けじとばかりに見せかけの技術を習得する。
輝く愛情溢れるはずの家庭は単に帰るべき、社会的に必要な常宿となる。
自分は温かい家庭を築いていて幸せである、この平凡こそが幸せだという気持ちをよりどころに、真実の愛へのわき出す疑問と渇望を押さえ込みながら、黙々と役割を演じる。
世間に対して、自分が幸せな家庭の中にいることを示したいという「虚栄心」と、下手なことを言って周囲からうまくいってない家庭だと噂されたくないという横並び主義的「自衛心」。これら2つが、幸せである「はず」の家庭を守る砦となっている。
みんなこうなんだろうと、ほぼあきらめかけた4、50代。子どもを育てるという壮大なプロジェクトを遂行する人々は、愛だの恋だのは過ぎ去った幻なのだと言い聞かせ、愛なき道をひたすらに邁進する。
そんな時に、同年代でも真実の愛を手に入れたような光景を目の当たりにする。
やっかまずにいられるだろうか?
「そんなはずはない。こんな愛はまやかしに過ぎない。お金につられているだけだ、色欲だけだ、真実の愛なんてこの年になって手にできるはずがないのだ。」
と思わなければ、自分がやりきれなくる、当然の心理状態。
年齢を言い訳に真実の愛から目を背け自分の人生とは関係ない、おそらく同じ年代の人たちの人生に、関係のないものだと言い聞かせてきたのに。突きつけられた反する事実。
このような真実の愛を得られない,得ようと努力することを止めてしまった人たちが、社会の大多数を占めている。その人たちの意見が世論となり、真実の愛を得たかもしれない、少なくとも得ようと努力した事は明白な人たちをこき下ろし、引きずり下ろし中傷しているのだ。そんな世論に振り回されるほど愚かではいたくない。
いくつになっても真実の愛を求めていたい。幸せを追求するという人間の当然の欲求。
それはどこにあるかわからない。見つける力を持った人にしか見つけられない。
家庭にあるのかもしれないし、今日街角で見つけるのかもしれない。
真実の愛は求め続ける人の上にのみ、いつか、流星のように前触れもなく降り注ぐのだから。
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